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パターソン博士は手話を使ってゴリラと意志を通じ合った。

パターソン博士(はかせ)手話(しゅわ)使(つか)ってゴリラと意志(いし)(つう)()った。
Dr. Patterson communicated with a gorilla using sign language.
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彼らは英語で自分たちの言いたいことを通じさせることができた。

(かれ)らは英語(えいご)自分(じぶん)たちの()いたいことを(つう)じさせることができた。
They could make themselves understood in English.
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娘が無事に着いたかどうかと思って電話をかけようとしたが、通じなかった。

(むすめ)無事(ぶじ)()いたかどうかと(おも)って電話(でんわ)をかけようとしたが、(つう)じなかった。
Wondering if my daughter had arrived safely I tried to call her but couldn't get through.
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シェイクスピアは一時代だけの人ではなくて、あらゆる時代に通じる人であった。

シェイクスピアは(いち)時代(じだい)だけの(ひと)ではなくて、あらゆる時代(じだい)(つう)じる(ひと)であった。
He was not of an age but for all time.
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フランス語が通じなかった場合に、私たちが最後に頼りにする言語は英語だった。

フランス()(つう)じなかった場合(ばあい)に、(わたし)たちが最後(さいご)(たよ)りにする言語(げんご)英語(えいご)だった。
For us, English was the language to fall back on when we couldn't make ourselves understood in French.
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「その人なんて言ってたんスか?」「露語が全く通じなかったので露語でなじってやった」

「その(ひと)なんて()ってたんスか?」「露語(ろご)(まった)(つう)じなかったので露語(ろご)でなじってやった」
"What was that person saying?" "He couldn't communicate in Russian at all so I told him off in Russian."
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「まがりなりにも通じている」ということと「正しい英語を使っている」ということには雲泥の差があります。

「まがりなりにも(つう)じている」ということと「(ただ)しい英語(えいご)使(つか)っている」ということには雲泥(うんでい)()があります。
There is a world of difference between, "somehow being understood" and "using correct English."
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初期の新教徒の移民たちがこの国にやってきたとき、彼らは労働は神と天国に通じる道だという考えを持ってきた。

初期(しょき)(しん)教徒(きょうと)移民(いみん)たちがこの(くに)にやってきたとき、(かれ)らは労働(ろうどう)(かみ)天国(てんごく)(つう)じる(みち)だという(かんが)えを()ってきた。
When the early Protestant immigrants came to this country, they brought the idea that work was the way to God and heaven.
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私たちがこの世界を経験し理解するのは、五感を通じて受け入れられ、脳によって解釈される信号を通じてなのである。そして、この両方のプロセスともゆがめられやすい。

(わたし)たちがこの世界(せかい)経験(けいけん)理解(りかい)するのは、五感(ごかん)(つう)じて(うい)()れられ、(のう)によって解釈(かいしゃく)される信号(しんごう)(つう)じてなのである。そして、この両方(りょうほう)のプロセスともゆがめられやすい。
We experience and understand the world through signals that are received by the senses and interpreted by the brain - and both stages are subject to distortion.